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神戸地方裁判所 昭和33年(わ)440号 判決 1958年7月22日

被告人 有永計一

主文

被告人を懲役六月に処する。

この裁判確定の日から弐年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中国選弁護人奥田源次郎に支給した分の二分の一、証人高山桂助同奥進二に支給した分は、被告人の負担とする。

本件公訴事実中封印破棄罪の点は、無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、かつて神戸市葺合区布引町三丁目一番地の六、所在の木造瓦葺平家建居宅一棟建坪七坪一合を所有していたが、昭和三十一年十月十五日付をもつて三光融資株式会社に対する債務の代物弁済として同会社に所有権を取得せられ、その旨の所有権移転登記が完了済であり、加えて、同年十一月十三日同会社より右移転にかかる所有権に基き家屋明渡請求訴訟を灘簡易裁判所に提起せられていたにも拘らず、昭和三十二年三月上旬頃、右家屋において、五味ますえに対し、前記の如き事実を秘匿し当時被告人がこれに居住していたのを幸い、恰も自己の所有家屋であるかの如く装い、「この家は自分の物だが敷金七万円家賃月四千円で賃貸してやる」旨申向け、同女をして同家屋が真実被告人の所有で平穏に賃借使用し得るものと誤信せしめて同女と同家屋の賃貸借契約を締結し、因つて、同女をして、同日同所において敷金の内金名下に現金三万円を、同月九日頃同町の不動産周旋業地球商会において木下某を介し敷金の残金及び同月分の賃料名下に四万三千円を、各交付させてこれを騙取した。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)(略)

(被告人及び弁護人の判示犯罪事実についての主張に対する判断)(略)

(無罪の判断)

本件公訴事実中

被告人は、昭和二十七年頃より平田勇所有にかかる神戸市葺合区布引町三丁目一番地所在の木造瓦葺平家建居宅一棟建坪十四坪一合を同人より賃借して占有するに至つたが、同人との間の右家屋に関する賃貸借契約に基く賃料を約定通り支払わなかつたため、昭和二十九年十一月十月同人より神戸地方裁判所に家屋明渡等請求訴訟を提起せられ、続いて同人の申請により同裁判所がした「前記家屋に関する被告人の占有を解き執行吏の占有保管に移し、被告人にその使用を許し、且つ、占有を他人に移してはならない」旨の昭和三十年(ヨ)第一七九号仮処分決定に基き、昭和三十年五月六日、同裁判所々属執行吏寺田節三が右仮処分の趣旨を明示した公示書を前記家屋玄関南寄の左側板壁に貼付して仮処分を執行したにも拘らず、昭和三十一年五月上旬頃、擅に右公示書を手で剥離してこれを破棄し、もつて公務員の施した差押の標示を無効たらしめた。

との公訴事実について判断する。

被告人が昭和三十一年五月上旬頃右仮処分の公示書を剥離したことは、証人寺田節三の当公廷での証言、被告人の当公廷での供述等により明らかであるが、被告人及び弁護人はこの点につき、前記家屋明渡等請求の本案訴訟において、昭和三十一年五月六日裁判上の和解成立し被告人が引続き平田勇から前記家屋を賃借することになつたので、被告人は、仮処分の公示書は、もう剥がしてもよいものと思つてやつたことであるから犯意がなく無罪である旨主張する。

ところで、被告人の当公廷での供述と和解調書正本によると被告人主張の日にその主張の如き裁判上の和解が成立したこと竝びに右和解に立会つた被告人の訴訟代理人であつた弁護士が被告人に対し仮処分の公示はもうとつてよいと云つたこと、そこで被告人は、右和解成立の結果差押がなくなつたものと誤解し、その標示である公示書は単に形式上存在するに過ぎなくなつたのであるから任意に撤去し得るものと信じて、その頃右公示書を剥離したことが認められる。仮処分命令により一旦差押がなされた以上その命令が取消されるか又は執行吏によつて差押が解除されない限りたとえ本案訴訟において裁判上の和解が成立しても直ちに差押の効力がなくなるものではなく、その差押標示は有効のものではあるが、民事訴訟手続の知識に乏しい普通の一般人である被告人は、右の如く既に裁判上の和解が成立し仮処分の必要もなくなつた以上差押の効力もなくなり、もはや差押は存在しなくなつたと誤信するに至つたもの、即ち構成要件たる事実の錯誤を生ずるに至つたものと認めるを相当とし、右錯誤に基く被告人の行為は差押の標示を損壊するという犯意を欠いたものといわなければならない。

検察官は「公務員の施した差押の標示を損壊する故意ありとするには、差押の標示が公務員の施したものであること並にこれを損壊することの認識あるを以て足り、差押の標示が法律上無効であると誤信してこれを損壊したとしても故意を阻却しない」旨判示した最高裁判所の判例(昭和三二年(あ)第四号同年十月三日第一小法廷判決)を引用し被告人主張の錯誤は法律の錯誤で犯意を阻却しない旨主張するけれども、右判例は、本件に適切なものでなく、さきに大審院が弁済により差押の効力なきに至つたものと誤解し差押の標示を損壊した事案につき「民事訴訟法ソノ他公法ノ解釈ヲ誤リ被告人カ差押ノ効力ナキニ至ツタ為差押存セスト誤信シ又ハ封印ヲ損壊スル権利アリト誤信シタル場合ニ於テハ本罪ノ犯意ヲ阻却スル(犯罪行為ノ一般違法性ノ錯誤ニ非スシテ構成要素タル事実ノ錯誤テアル)」旨判示した判例(大正十四年(れ)一八三一号大正十五年二月二十二日刑二決定)を変更したものと解することができない。

よつて、本件公訴事実中封印破棄罪の点は、刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をする。

(裁判官 江上芳雄)

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